買ってきた材料を溶かして混ぜるだけというシンプルな手法で作るポリマーブレンド。相溶性という特性に注目し、その可能性を広げるために奮闘しています。
高校時代の化学の実験でナイロン6繊維を合成したことが、私がポリマー研究の道に進むことになった原点です。学校の実験室でできる簡単な実験でしたが、自然界には存在しない人工物を自分の手で生み出したことが、やけに感慨深かったのを今でも覚えています。この時感じた「合成ポリマーは人類が築き上げたサイエンスを具現化したものなのだ」という感動が、今の私を形作っています。
大学で高分子工学を学び、現在は主に「ポリマーブレンド」の研究に取り組んでいます。ポリマーブレンドとはその名の通り複数のポリマーをブレンドして新しい材料を生み出す手法で、私はよくカレー作りに例えています。化学反応によってポリマー合成する研究がスパイスからオリジナルのカレーを作るような手法であるのに対して、既存のポリマーをブレンドする私が取り組む技術は市販のカレールーを溶かして混ぜておいしいカレーを作るような手法です。シンプルな方法であるため、工業的応用のハードルが低い一方、オリジナリティのある材料を作り出すことが難しいアプローチでもあります。
ポリマーブレンドによってオリジナリティを主張できる新規材料を創出するため、特に私が注目しているのが、相溶性の高いポリマーの組み合わせを応用したブレンドです。一般的に、複数のポリマーをブレンドしてもそれらは水と油のように分子レベルでは溶け合わず、まだらな状態になります。これを非相溶といい、非相溶性のポリマーから成るブレンドはもとのポリマーが持つ性質をそのまま引き継ぎます。一方、珍しい事例ですが分子レベルで溶け合う相溶性のポリマーの組み合わせも知られていて、このブレンドはもとの材料が溶け合い相互作用することで特徴的な性質を獲得することがあります。相溶性ポリマーブレンドは「混ざらないはずのポリマーがなぜ溶け合うのか」というサイエンスの文脈で研究されることが多いですが、私は工業としての可能性に注目しています(図1)。
透明性という機能を例に挙げて説明しましょう。光の屈折率の異なる2種類のポリマーA、Bと透明な補強材であるガラス繊維を混ぜ合わせる状況を想定します。単に透明なポリマーとガラス繊維を混ぜた場合、内部に屈折率の異なる材料が入り乱れた状態になるため、光が乱反射して白く濁ります。一方、相溶性を示すAとBのブレンドは、分子レベルで溶け合うために透明になり、さらにAとBの混合比を変えることで屈折率を制御することもできます。このポリマーA/Bブレンドの屈折率をガラス繊維と同じ屈折率に調整すると、複合材料の屈折率が全体として一様になるため、透明性を獲得できるのです。
工業的観点から相溶性ポリマーに着目し、それを非相溶性のポリマーと組み合わせて新しい機能性ポリマーを生み出すというのは、私独自の研究スタイルと自負しています。主に自動車用材料への応用を念頭に置いて、透明性や耐湿熱性といった機能に着目してこれまで様々なポリマーブレンドを編み出してきました(関連記事:外気温に合わせて太陽光の吸収量を自律制御する機能性材料)。一連の業績が評価され、2022年度には高分子学会の高分子研究奨励賞を受賞することができました。
相溶性ポリマーブレンドの可能性に気付いたのは偶然からでした。先行研究を後追いする形で実験していたとき、買い込んだ材料の中にたまたま紛れていた分子鎖の長いポリマーを使った相溶性ポリマーブレンドが、とてもいい性能を示すことが分かったのです。「相溶性を深堀りするときっとすごい材料ができる」と思い、今のスタイルにつながりました。
こうした予想外の結果を深掘りできるのは、私がこの会社に魅力を感じている部分の一つでもあります。就職活動で豊田中央研究所のインターンシップに参加したとき、与えられたタスク中に予想外の結果が得られたことがありました。指導役に「タスクとあわせて、この結果の検証にも時間をつかってね」と言われたときに、直近の目標だけでなく、将来のための知的探求に投資できるこの会社に入ろうと決めたのです。相溶性ポリマーブレンドの研究が成果に結びつき始めた今、あの時の判断は間違ってなかったと改めて感じます。
ポリマーブレンドは「溶融混練」、要は溶かして混ぜるというエンジニアリング的な手法で作られます。サイエンティフィックな手法でサイエンティフィックな成果を出すのは大学など他の研究機関でも可能ですが、工業的に確立された手法でサイエンティフィックな成果が出せたというのが、ポリマーブレンドに注目した私の研究活動の一つの価値だと考えています。サイエンスとエンジニアリングの境界において面白いことはまだまだ発見できるのです。
エンジニアリングとサイエンスが交わる場所として、豊田中央研究所は非常に魅力的な環境です。トヨタグループの研究所として工業の現場の近くにいることから、熟練のエンジニアが大勢います。私もポリマーブレンドを研究する上で必要な要素技術は社内にいる「師匠」からすべて教わりました。論文執筆や学会発表などアカデミックな面においても、効果的な文章構成から図の見せ方まで知り尽くした研究のプロに弟子入りすることで、研究発表のスキルも非常に鍛えられました。基礎研究から実用化に向けた先行開発まで幅広いフェーズの研究が行われていることは、この会社の大きな特徴です。
メーカーではないという立ち位置も、ポリマーブレンドの研究を進めるうえでのメリットだと感じています。もし素材メーカーがポリマーブレンドを開発するのであれば、自社のポリマー素材をベースに考えないといけません。当社はそうした縛りがないので材料選択の自由度が高いと言えます。こうしたメリットはアカデミアにも共通するところですが、自動車をはじめとしたトヨタグループの持つ製品という明確な出口があるからこそ、本当にニーズのある機能性を追求して産業に貢献できる研究ができるのではないでしょうか。
3年ほど前から「材料分析討議会」と銘打った社内勉強会を主催しています。この勉強会は材料探索やプロセス開発、分析技術開発など、材料系の研究者が集まって自身の研究を発表するという場です(図2)。
豊田中研は様々な研究プロジェクトに取り組んでいることもあり、一口に材料系の研究者と言っても、皆が同じ部署にまとまっているわけではありません。異なる要素技術を持つ研究者が集まって1つのプロジェクトに取り組むというのも必要ですが、一方で、同じ要素技術を持つ研究者が集まって知見を深め合うということも同様に必要です。勉強会を立ち上げたのは、こうしたプロジェクト軸と要素技術軸の2つの活動が好循環を生めばいいという思いからです。
私たちは企業研究所に勤める研究者ですから、研究は仕事であり、成果を求められるのは当然です。しかし、それだけでは直近のタスクに追われ、視野が狭くなります。皆もともとは研究が好きだからこの会社に入ってきたはず。よく趣味を仕事にすると楽しめなくなるといいますが、私はずっと研究を楽しんでいたいし、みんなにもそうであってほしいと思っています。だからこの勉強会の決まりごとは発表の持ち時間くらいにしていて、「肩の力を抜いて大好きな研究の話をしよう」とゆるく構えることにしています。活動を続けるうちに共感してくれる人も増え、今では毎回30人くらいが参加する活発な議論の場となっています。
材料分析討議会は要素技術の深化を目的としているため材料分野に特化していますが、将来的にはポスターセッションなど分野をまたいだ交流なども開催したいと考えています。こうした交流を通じて、社内の活性化や魅力向上にも貢献できたら素敵ですね。そのためにも、まずは自分が豊田中央研究所での研究活動を楽しみたいと思います。