PRESENTATION

“孔”の向こうに見えるもの

豊田中研の多孔質材料研究の歩み

2025年ノーベル化学賞の受賞テーマに選ばれたMOF。その特徴である規則的で細かい無数の孔にはどんな可能性が秘められているのか。MOFをはじめとする、当社の多孔質材料研究の歴史を紐解きます。

ノーベル化学賞にMOFが選出

2025年のノーベル化学賞は、京都大学の北川進特別教授、豪メルボルン大学のRichard Robson教授、米カリフォルニア大学バークレー校のOmar M. Yaghi教授(University Professor & James and Neeltje Tretter Professor of Chemistry)の3名に贈られました。受賞理由は「金属有機構造体(Metal-Organic Framework:MOF)の開発について」です。MOFとは、核となる金属イオンの周りに有機分子が配位結合したユニットから成る化合物です。その最大の特徴は、ナノメートルスケールの細かい孔(細孔)が規則正しく並んでいる点にあります。

こうした構造を持つ物質は「規則性多孔質材料」と呼ばれます。規則性多孔質材料は、その大きな表面積や内部の空隙を活用することで様々な機能を付加することができます。その産業応用の可能性は枚挙にいとまがなく、ガス吸着、成分分離、触媒、蓄電デバイスなど多岐にわたる応用が期待されています(図1)。中でもMOFは、骨格を構成する材料の組成や合成条件を変えることで細孔のサイズや化学的性質を制御できることから、代表的な規則性多孔質材料として注目されています。

図1. 当社の荻原らによる、MOFの蓄電デバイスへの応用例(イメージ)

ノーベル化学賞の発表の中で、選考委員会のHeiner Linke委員長は「MOFは大きな可能性を秘めており、新たな機能を備えた特注材料にこれまで予想もできなかった機会をもたらす」と述べています [1]。今回の受賞は、MOFに代表される規則性多孔質材料の研究が、科学技術の最前線で重要な位置を占めていることを改めて示すものと言えるでしょう。

当社における規則性多孔質材料研究の歴史

私たち豊田中央研究所は、規則性多孔質材料が持つ可能性に早くから着目し、新奇材料の開発から応用まで様々な研究に取り組んできました。その源流は1970年代の排ガス浄化触媒の研究にまで遡ります。当時の日本はモータリゼーションが急速に進み、排ガスによる大気汚染が社会問題化していました。これに伴い、自動車メーカーはガソリン自動車の排出ガス中に含まれる一酸化炭素、炭化水素、窒素酸化物の濃度を従来基準と比較して約90%削減することが義務付けられました。当社はこれらの成分を酸化還元反応によって浄化する「三元触媒」の開発を通じ、触媒となる物質そのものだけでなく、触媒を保持する土台となる多孔質材料の知見を蓄積していきました。

当社と規則性多孔質材料の関係を象徴するのが、1980年代に始まったメソポーラス材料をめぐる一連の研究です。中でもブレークスルーとなったのは、当社の稲垣伸二名誉フェローによる、1993年のFSM(Folded Sheet Mesoporous materials)と名付けられたメソポーラスシリカの合成(図2)でした [2]。

図2. FSMの電子顕微鏡写真

多孔質材料はその細孔の大きさに従って、ミクロ、メソ、マクロと分類されます。現在も広く使われている規則性多孔質材料であるゼオライトは1 nm以下のミクロ孔を持ち、分子量の小さい物質の吸着性に優れます。一方で、分子量の大きな物質で触媒作用や吸着機能を発現させるために、より大きなメソ細孔を持つ多孔質材料が望まれていました。FSMは数nmという従来にない細孔サイズを持つ画期的な材料でした。FSMは内部の空隙に分子を選択的に取り込むことができるため、高効率の触媒や吸着材料など、様々な用途への応用が期待されるとして世界の注目を集めました。

当社のメソポーラス材料研究はその後も発展を続け、1999年には有機基と複合化したメソポーラス有機シリカ(PMO; Periodic Mesoporous Organosilica)の合成(図3)につながりました [3]。有機基の種類を変えることで、人工光合成の鍵となる光捕集アンテナ機能など、様々な機能を付加することが可能になりました。稲垣名誉フェローのチームによる一連の研究は、Nature誌 [4] をはじめとするトップ論文誌に掲載されるなど高い評価を受けています。

図3. 結晶状メソポーラス有機シリカ(イメージ)

王道から新領域まで~当社のMOF研究の展開~

当社の規則性多孔質材料研究はメソポーラス材料のみに留まらず、2000年前後からはMOFの研究にも力を入れています。これまでMOFに関連する数多くの特許を取得しており、学術的にもトップ論文誌に掲載される高いレベルの研究を推進しています。

2025年のノーベル化学賞を受賞された3名の業績を紹介する文書であるScientific Background [5] には、当社の森部真也主任研究員が共著として携わった、ノースウェスタン大学のZhijie Chen博士研究員(当時)らによる論文が引用されています [6]。この研究は、車載タンクなどにおける水素やメタンのガス吸着材料としてのMOFに着目し、シミュレーションと組み合わせた合成法を開発したものです。森部は特にMOFのX線構造解析や安定性評価において貢献しました。

森部真也 主任研究員

この研究は、ガス吸着量をどれだけ大きくできるかを追求した、まさにMOFの王道をいくテーマです。ガス吸着量を増やすには表面積を大きくすることが必要ですが、空隙率が高くなると結晶構造が不安定になるというトレードオフがあります。本研究グループでは、この最適なバランスを見いだすために、経験的に合成されることが多かったMOFに対して、大規模シミュレーションを組み合わせた設計指針を導きました。その結果、1グラムでサッカーコート1面分以上の表面積を持つ革新的なMOFを合成することに成功し、世界トップレベルのガス吸着特性を実現しています。

こうしたMOFの王道ともいえるガス吸着への応用だけでなく、当社では社会のニーズに応じた様々な技術開発を進めています。現在進めている取り組みの一つが、荻原信宏主席研究員らによる蓄電デバイスの負極材料「iMOF(Intercalated MOF)」の開発です [7]。

荻原信宏 主席研究員

iMOFの特徴は、従来のリチウムイオン電池の負極材料にはない独自の動作電位にあります。負極材料をめぐっては、動作電位が低い場合は劣化の原因となるリチウム金属析出が生じやすくなり、逆に高い場合はセル電圧が低くなることが知られています。中間的な電位を持つiMOFはこうした課題を解決できる可能性があります。また、機械学習を活用してiMOFの原料の混合比率を検討することで結晶構造を最適化し、急速充電性能を向上させることに成功しました。この研究は、MOFが当社の強みである二次電池とうまく融合したことで生まれたものと言えます。

また、宮嵜伊弦研究員らは、MOFの新たな応用として、金属同士を強く接着する構造用接着材への展開を世界で初めて示しました [8]。本研究は触媒や吸着剤といった機能性材料としてではなく、構造材料としてMOFを扱った先駆的な事例として注目されています。

宮嵜伊弦 研究員

MOFは多孔性に焦点を当てた応用が一般的ですが、私たちは別の側面に着目しています。温度変動環境での金属接着には、弾性率と熱膨張率の低さが求められますが、従来の接着剤ではこれらの特性を両立するのが困難でした。MOFは低い弾性率と制御可能な熱膨張率を持つため、金属の接着剤として応用できる可能性があります。ただし、パウダーとして合成されることが多いMOFを固化させるのは容易ではありません。そこで本研究では、MOFの前駆体を含むゲルを作製して、それを加圧焼結するプロセスを採用しました。本研究で得られたMOF接着剤は、従来の構造用接着剤の強度を持ちながら、温度変動環境において高い信頼性を示すことが期待されます。また、MOFは設計自由度が高いため、複数の材料表面と化学的に相互作用するように設計すれば、異種材料の接着にも役立つ可能性があります。

今後、MOFをはじめとする規則性多孔質材料は、環境浄化、CO2回収、水素貯蔵、電池材料など、持続可能な社会の実現に向けたキーマテリアルとしての役割が期待されています。豊田中央研究所は、MOF研究によってノーベル化学賞を受賞された各氏の栄誉を称えるとともに、規則性多孔質材料やMOFの可能性を追求し、社会課題の解決に貢献する研究を推進してまいります。


引用文献


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