PRESENTATION

人の運動・感覚・感情に関わる脳神経系の構造と機能を数値モデル化する

脳神経系モデリング

戦略研究部門 ヒューマンサイエンス研究領域
脳神経系モデリングプログラムプログラムマネージャ
博士(工学)

岩本 正実

人の運動・感覚・感情・意識を生み出す脳神経系の働きを解明。
身体からの様々な情報をもとに脳神経系を働かせる「デジタルヒューマンモデル」の開発を目指しています。

脳神経系の神秘を解明する

人の脳は重さ約1.3kgの軟らかい組織の塊で、その中には複雑に配列された1000億以上の神経細胞を含んでいます。神経細胞は互いに接続し合いながら100兆にも及ぶネットワークを形成し、神経回路を構築しています。このネットワークが外部環境を知覚し、認知、感情を経て、行動を選択していると言われています。この小さな軟らかい塊が、人の運動、感覚、感情、意識をどのようにコントロールしているかは科学において未解明の神秘です。

一方、近年、fMRI(機能的核磁気共鳴画像法)や脳磁計・脳波計などの神経活動計測技術の発展により、脳神経ネットワークの理解が深まり、運動・感覚・感情・意識に関わる様々な脳機能が徐々に解明されつつあります。私たちはこれまで、人体全身有限要素モデル「THUMS®※」を開発し、自動車事故における人体のケガの程度をコンピュータ上で予測する研究を行ってきました。現在は、これに運動・感覚・感情の脳機能を追加することにより、身体からの様々な情報をもとに脳神経系を制御できるデジタルヒューマンモデルを開発しようとしています。人が動いたり、感じたり、感情をもって行動したりすることを再現するためには、それらに関わる脳神経の数理モデルと、身体や内臓のモデルを構築する必要があります。バーチャルで人の運動・感覚・感情を予測・評価できれば、工場・家庭における作業やスポーツ、介護等の様々な場面で、人のからだやこころのサポートに活用できると考えています(図1)。

図1. 光、温度、外力などを身体構造が検知し脳神経に伝える。その結果、人は「感じて考えて動く」。脳神経系における複雑な情報処理と身体の多種多様な機能を数値モデル化したデジタルヒューマンモデルができれば、人をやさしく支援するデバイスの開発が可能になると考えている。

脳の数理モデルでTHUMSを制御

THUMSは、骨、靭帯、筋肉、内臓臓器や脳組織などを含むバーチャル人体モデルです。有限要素法により、自動車乗車中などの加速度変化を伴う状況における人体の挙動やケガの程度を予測することができ、現在、国内外の100を超える企業と大学・研究機関で利用されています。

私たちは、THUMSの脳モデルを構造と機能の面でより充実させることに特に注力しています。脳の構造モデルは、脳組織を脳梁・脳弓・大脳基底核・視床・中脳・橋・延髄・小脳・大脳実質に分け、脳組織と頭蓋骨との間に、硬膜・くも膜・軟膜・脳脊髄液を含む構造を持った力学モデルとしています。交通事故やスポーツなどで頭部に衝撃が加わった場合に生じる脳組織内部のひずみを予測することができ、脳震とうなどの脳損傷の発生メカニズム解明に利用できます(図2-左)。

このモデルに神経や血管のネットワークを配置することができれば、さらに高精度な損傷予測が可能になります。現在、構造モデルの高精度化に向けて、固体、流体、イオン電荷が入り混じった構造を力学的に解析する手法の開発を進めているところです。

一方、脳の機能モデルは、身体運動を決める筋制御のアルゴリズムの構築から着手しています。身体運動を行うためには、400以上あると言われる骨格筋のそれぞれを協調・拮抗させ、姿勢や動作を随意に制御できなくてはなりません。この随意筋制御には、脳脊髄における運動機能が関わっています。運動制御を実現するための脳神経の数理モデルを構築することができれば、筋制御によって、THUMSの身体動作をコントロールすることができると考えています。

図2. (左)脳神経系の構造を反映したモデルを構築し外傷や病気による脳損傷を数値化するとともに、 (右)強化学習を用いた筋制御により身体の姿勢維持や運動制御を人体モデルTHUMSを用いて実現することを目指している。

チーム一丸となって「すごい研究」にチャレンジ。
脳の各機能を数値モデル化するために、国内外の医学・情報系研究機関との共同研究を加速させています。

情動・感情の数値モデル化への挑戦

人の情動や感情も脳の機能であり、内臓の心拍、呼吸、胃腸運動による内受容感覚の変化が脳に影響を及ぼしたり、その逆の作用が起きたりするのは、自律神経などを通じて脳と内臓が相互作用するためと言われています。私たちは、心拍や呼吸などの生理的反応の数値モデル化と、その情報にもとづいて機能する脳の情動・感情の数理モデル化構築に着手しました。腸内細菌が人の感情を制御しているという研究報告もあり、これはストレスなどの精神状態の変化を推定する上で、今後重要な要素の一つになりそうです。

このように人の心拍、胃腸運動、呼吸などを脳の数理モデルと結びつけることができれば、様々な情動や感情の評価に利用できる可能性が見えてきます(図3)。その先には、意識のモデル化も視野に入れ、数値モデル化の限界に挑んでいます。

図3. 人の情動・感情は、心拍・血圧変化などの循環器系や胃腸運動などの消化器系、呼吸器系と相互作用し、腸内細菌の働きの影響を受けると言われている。

機械工学・計算力学・バイオメカニクス・電気生理学・生物学など異なる専門分野をもつメンバーが、お互いの知識と経験を融合させることにより、新しい発想の「デジタルヒューマンモデル」の開発に取り組んでいます。


主要論文・受賞

Iwamoto, M. et al., “Development of a human body finite element model with multiple muscles and their controller for estimating occupant motions and impact responses in frontal crash situations”, Stapp Car Crash J., 56, 231-268 (2012).
Kimpara, H. et al., “Mild traumatic brain injury predictors based on angular accelerations during impacts”, Ann. Biomed. Eng., 40, 1, 114-126 (2012).
Atsumi, N. et al., “Development and validation of a head/brain FE model and investigation of influential factor on the brain response during head impact”, Int. J. Vehicle Safety, 9, 1, 1-23 (2016).
金原秀行 他, 第63回自動車技術会賞 論文賞「頭蓋骨骨折を伴わない脳傷害予測手法の提案」(2013)


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